中山道歩き旅 第五回 上尾から北本 その②

その①の続き。

案内板を過ぎると、間もなくして桶川宿に入ります。

中山道の傍らに木戸跡の碑が立っていました。

此方は、下木戸跡。

京都方面が上で、江戸方面は、下です。

当時は、街道の北と南の端に木戸が置かれ、宿場内の治安維持の為、夜には、木戸が閉められていたそうです。

桶川宿は、紅花の商いにより、大変栄えた宿場でもあり、参勤交代では、多くの大名が定宿としていたそうです。

幕末には、十四代将軍、徳川家茂に降嫁した皇女和宮も、京都から江戸へ下る途中に、桶川宿に宿泊しました。

桶川宿に入ると、上尾宿にもありました鍾馗様が民家の屋根に置かれてました。

中山道沿いには、古い建物がいくつも残っていましたが、なかでもビジネス旅館として現役でもある武村旅館は、貴重です。

その先の路地先には、浄念寺。

迫力ある仁王像が出迎えてくれます。

境内に入ると板石塔婆が置かれています。

一番古いものは、1315年といいますから、鎌倉時代のものですね。

浄念寺を後にし、中山道に戻ります。

沢山の古い建物が残ります。

本陣跡が見えてきました、府川本陣跡です。

皇女和宮も此方で宿泊されたそうです。

本陣跡の先には、中山道宿場館がありました。

館内には、中山道や桶川に関する写真や書物、資料が置かれてました。

次に目指すは、稲荷神社です。

中山道から少し入った所にありました。

神社の木穴には、可愛らしいお稲荷さん。

境内には、紅花商人達が寄進した石灯篭が二基、本殿の前に鎮座。

また、大磐石と呼ばれる力石が祠におさめられています。

この石を、三ノ宮卯之助という、当時の日本一の力持ちが持ち上げたそうです。

中山道に戻ります。

市神社跡の標柱があり、裏には、説明が書いてあります。

さらに進み、大雲寺を訪れます。

境内には、立派な鐘突堂がありました。

此方のお寺さんは、女郎買い地蔵が有名です。

夜な夜な遊びにでる若いお坊様への戒めに、背中にしっかりと、かすがいが打ち込まれています。

お彼岸の時期なので仏様にお札が貼ってありました。

とても神秘的な雰囲気。

中山道に戻ると、歩道橋の柱に一里塚跡の説明板がありました。

日本橋から数えて十番目の一里塚です。

江戸から此方までは、約40キロとなります。

上木戸跡を越えると、桶川宿ともお別れです。

木戸跡を越えた交差点に、S氏行きつけの酒屋さんがあります。

当然素通り致しません。

お家で飲む用に、各自お酒を購入。

ここから先は、ひたすら直進、JR北本駅を目指します。

暫くすると、北本の歴史が書かれた説明板がありました。

北本は、江戸の初期まで宿場が置かれていましたが、後に今の鴻巣の地に宿場が移されることになります。

宿場があった当時、この辺りは、本鴻巣村と呼ばれいたそうです。

鴻巣に宿場が移されてからも、立場が置かれ旅人の休憩所となっていました。

本日のゴールJR北本駅まであと僅か。

中山道には、多聞寺と天神社が並んであります。

それぞれお参り致します。

多聞寺の境内には、天然記念物でもある、ムクロジの大木がどっしり。

天神社。

天神社には、算額が納められているそうです。

北本駅が見えてきました。

本日のてくてく旅は、ここで終了です。

途中パラパラと小雨が降りましたが、旅に影響なく、楽しく歩けました。