中山道歩き旅 第八回 熊谷から岡部その①

2021年12月25日(土曜日)天気は、晴れ。

令和三年最後となる中山道歩き旅。

今回もいつもの4人で歩きます。

地元の駅に朝8時に集まり、電車で熊谷駅に向かいます。

熊谷駅に着くと、前回の旅の終着点に戻り、てくてく旅のスタートです。

まずは、国道17号を目指し、熊谷宿に入ります。

国道沿いには、ちらほらと、昭和を感じさせる建物が残り、街自体にどこか懐かしさを感じます。

すると、高城神社の鳥居が見えてきます。

鳥居をくぐり、境内へ。

青銅常夜灯は、天保十二年に藍染業者によって寄進されたそうです。

御神木の欅、樹齢は、800年を超えます。

熊谷の酉の市は、此方で毎年12月8日に行われ八日市と呼ばれます。

大宮は、十日市、浦和は、十二日市、蕨に市がたつのは、十六日でした。

旅の安全をお祈りし、中山道へ戻ります。

道端に、札の辻の石碑。

かつての高札場跡です。

熊谷宿の説明板もありました。

続いて、本陣跡の碑。

熊谷宿の本陣は、大変大きな建物だったようですが、第二次大戦の空襲で焼けてしまったそうです。

しかもそれは、終戦前夜。

大変悔やまれます。

国道を横断し、八木橋デパートの向こうにあるのが、熊谷寺(ゆうこくじ)です。

源平の戦いで活躍した、熊谷の英雄、熊谷直実が出家した後に過ごしたお寺です。

中山道は、八木橋デパートの中を通ります。

八木橋デパートを過ぎると、昭和に戻ったかのような商品看板に商店街。

一番街商店街の通りが中山道になります。

商店街の中には、小さなお社の八坂神社。

長年、此方の地域をお守りくださっているのでしょう。

商店街のなかの小さなお社、それだけでなんだか風情があります。

国道に突き当たり、右折します。

まっすぐ進むと公園に大きな石碑が三基立ちます。

秩父道しるべです。

少し進み、中山道は、左にそれる道に入りますが、その前に、ある会社の敷地内に古い石碑が一つありました。

正面は、風化が激しく解読出来ませんでしたが、側面は、なんとか読み取れ、明和四丁亥(ひのとい)霜月とあります。

明和4年は西暦1767年、後桜町天皇の御代、第十代将軍、徳川家治の時代です。

左に折れて進むと一里塚跡があります。

新島の一里塚です。

現在台座に切り株が残っている状態ですが、最近まで立派な欅が一里塚にたっていました。

在りし日の姿が写真に残されていました。

道の反対側には、摩多利神社。

云われが刻まれた石碑がありました。

歩き旅の醍醐味の一つは、地域の歴史を学べる事です。

さらに進むと、忍領石標。

此方から南は、忍藩の領土です。

安永に立てられ、明治になって廃止され、昭和で再発見されたそうです。

途中、国道をまたぎますが、長閑な道のりです。

石碑、石像、小さな祠が点在いたします。

中山道は、住宅街に入り、傍らに、明治天皇御小休所跡の碑がたっています。

我らもここいらで小休止。

年の瀬ですので、年越しそばを食べようと、通り沿いのお蕎麦屋さんに入りました。

手打ちの蕎麦、大変美味しくいただきました。

元気を取り戻し、てくてく旅再開です。

さっそく石碑が三基ありました。

この辺りに東方の一里塚があるはずなので探しながら歩きます。

すると、木の根元に小さな標識がありました。

彩の国ロードサポート 、団体名、一里塚と花畑、と記載があります。

我らは、此方を東方の一里塚跡とします。

その先には、赤の鳥居の連続が特徴的な、鬼林稲荷大明神

気づけば熊谷を越えて深谷市に入っていました。

通りには、古い石碑が点在します。

深谷と言えば、深谷ネギ。

農協の販売所には、収穫されたネギがたくさん。

どれも立派な代物でした。

その②に続く。