中山道歩き旅 第十一回 新町から高崎 その②

その①の続き。

宿場そばで、美味しいお蕎麦をいただき、倉賀野宿を目指し、てくてく旅再開です。

まずは、跨線橋を渡り、直進してから一旦左の脇道を進み、再び、先程きた道と合流。

途中石碑群がありました。

さらに進むと、真新しいお堂が見えてきます。

中山道と日光例弊使街道の追分に建つ閻魔堂です。

現在は、閻魔様が奉られいますが、江戸の頃は、阿弥陀様が奉られていたそうです。

立派な追分常夜灯と道標がたちます。

常夜灯には、寄進者の名前がびっしり。

倉賀野宿に入ります。

倉賀野宿には、今も古い建物をちらほら見ることができます。

また、この日は、天気も良く、江戸方面から歩いて来ると、宿場のメイン通り越しに雪を被った浅間山が正面に見えます。

これは意図的に設計されたものでしょうか。

景色が素晴らしいです。

小栗上野介埋蔵金ゆかりの地。

昔テレビで徳川埋蔵金の番組が大々的にやってましたが、この辺りが発祥なのでしょうか。

倉賀野古商家 おもてなし館。

此方でおトイレをお借りし、館内を見学させていただきました。

ここの施設を管理されているお姉さま方とお話しをさせていただきながら、暫し休憩。

旅を再開し太鼓橋の案内板。

中山道から逸れますが、倉賀野駅方面へ少し入ってところにある道標。

左 ステーション道とあります。

明治若しくは、大正時代に作られた道標でしょうか。

カタカナ表記で石造りの道標、珍しいと思います。

中山道に戻り、双体道祖神

その先には、本陣跡。

卯建が立派な脇本陣 須賀家。

高札場跡。

中山道を逸れますが倉賀野神社と倉賀野城跡を目指します。

まずは、倉賀野神社。

神社には珍しく重厚な瓦屋根。

見事な彫刻。

倉賀野神社を出た所には、鳥啄池跡。

倉賀野城跡は、住宅街のなかの公園になっていました。

城の一方は、川に削られた高い崖で、防御に非常に適した地形となっていました。

今でも眺めの良い場所となっており、公園としても適した場所ですね。

見所満載だった倉賀野宿を後にし、高崎宿を目指します。

途中、安楽寺に立ち寄ります。

異形板碑。

本堂の裏には、古墳があります。

勝軍地蔵尊

高崎宿を目指す道には、松並木です。

ぐんまちゃんが、ちらほら現れます。

高崎駅前まであと僅かなところですが、旅の疲れを癒しに高崎温泉、さくら湯さんに立ち寄ります。

温泉で身も心も癒された後、再び高崎駅前まで歩き、本日の旅は終了。

駅中でお土産にと、前回好評だったガトーフェスタ ハラダさんのラスクとチョコレートを購入し、帰宅いたしました。

天気も、景色もよく、かつ温泉も堪能でき、大満足な1日でした。

中山道歩き旅 第十一回 新町から高崎 その①

2022年4月16日、天気は晴れ。

本日も、いつもの4人で歩きます。

だんだんと集合時間が早くなります。

それだけ、頑張って歩いたということ。

地元の駅から電車に揺られて1時間。

前回の終着地、新町駅に到着し、本日のてくてく旅スタートです。

まずは、駅から中山道へ戻ります。

最初に立ち寄ったのは、小林一茶が宿泊した、旅籠 高瀬屋跡。

神流川に常夜灯を建てるための援助をせがまれ、やむなく十二文寄付したと伝えられています。

江戸時代の十二文はというと、居酒屋でいただく、お銚子一本程度の価値らしいです。

続いて小林本陣跡。

今回の旅は、久しぶりの良い天気。

春らしく、青空に菜の花が映えます。

新町宿の外れには、弁財天が奉られます。

現在は、弁財天公園となっており、弁天様の他に、芭蕉の句碑と道祖神が鎮座致します。

此方に掛かる橋を望む景色が、広重作、新町宿の浮世絵だとされています。

弁財天公園を後にし、中山道は、大きな通りから右にそれて続きます。

見えてきたのは、伊勢島神社。

此方、もとは、お稲荷さんだったらしく、狛犬の代わりに狛狐が神社を守ります。

先に進むと川端家住宅。

白壁が見事、立派です。

信迎庵。

橋供養搭など、石碑が並びます。

道標がありました。

次の倉賀野宿まで4キロと少し。

中山道は、土手道へと入ります。

なるべく旧道を探して歩きますが、本日は、天気も良く、景色も素晴らしいので、土手道を優先して歩きました。

赤城山榛名山妙義山の群馬三山に、中山道のランドマーク浅間山も大変綺麗に見えました。

土手道を歩き終え、柳瀬橋で烏川を渡ります。

当時の渡し場付近と思われる場所まで歩きます。

川幅が少し狭くなっているこの付近が当時の渡し場、だと推測。

北向子育観音を横目に中山道を進みます。

倉賀野宿を目指し歩きますが、上州名物 宿場そばの看板が目に入り、此方でお昼をいただくことに致しました。

感じの良いおばあちゃんが、一人で切り盛りして料理を作ってくれました。

店内には、群馬出身歴代の総理大臣との写真が飾られており、昔からある老舗のお蕎麦屋さんなんだろうと推測。

おばあちゃんの配膳のお手伝いをしたり、色々お話しもさせていただいたりと、お蕎麦のお味と共に、旅の良い想い出となりました。

食後にコーヒーまでいただき、休養十分、歩き旅再開です。

その②に続きます。

中山道歩き旅 第十回 本庄から新町

2022年3月26日土曜日、天気はくもり。

中山道を歩く旅も、記念すべき10回目となりました。

メンバーは、いつもの4人。

地元の駅に朝9時半に集合。

前回の終着地である本庄駅まで電車に揺られる事約1時間。

ここまでよく歩いてきたものだなあと、感慨にふけります。

本庄駅に着くとホームに立ち食いそば屋を見つけ、メンバー約1名堪えきれず、取り急ぎ立ち食い。

ホームに漂う美味しい香り。

堪えきれないが正解です。

程なく食べ終え、本日の旅のスタートです。

駅には、本庄の有名、名物が描かれた可愛らしい看板がありました。

駅を後にし、まず目指すは、本庄城跡。

現在の城山稲荷神社がお城跡です。

中山道から少しそれますが本庄市役所の裏手にありました。

境内に入ると欅の大木がそびえ立ちます。

立派なヤブツバキの古木。

城山稲荷神社を後にして、中山道へ戻ります。

閉まっているお店が多く、少し寂しげですが、

いかにも昔からあるような店名のお店が並びます。

名前を読むだけで楽しく、どこか懐かしい街並みです。

次に目指すは、本庄市歴史民俗資料館。

此方の前には、田村本陣門が移設されています。

本庄市歴史民俗資料館は、明治十六年に本庄警察署として建てられ、その後改修された建物です。

現在は、市の資料館として活躍中てす。

可愛らしい洋風建築。

コロナの影響でしょうか。

館内には、入れませんでした。

残念です。

お隣には、安養院が鎮座。

本庄市で一番大きな木造建築だそうです。

総門は、1716年建立。

山門には、立派な木像が二対。

総門、山門、本堂は、市の指定文化財です。

中山道に戻り、旧本庄商業銀行煉瓦倉庫に立ち寄ります。

此方は、館内を無料で見学できます。

建物内も、もちろんレンガです。

本庄には、蔵や古くからの建物がまだいくつか残ります。

宿場の京側の入口には、本庄宿総鎮守金鑚神社が鎮座します。

境内には、御神木である楠木の巨木がそびえます。

豪華な本殿。

神社を後にし、旧道は、右折します。

当時は、所謂、桝形になっていたようです。

現在は、直進できるまっすぐな道も続いています。

先ほど見学した本庄煉瓦倉庫にあった古い本庄宿の地図には、直進する道は、なく、桝形の形状になっていました。

歩道には、中山道の宿場を示す浮世絵がデザインされてます。

英泉が描いた本庄宿を示す浮世絵には、これから向かう神流川の渡しが描かれています。

街道沿いには、平成七年に建てられた新しい馬頭観音

浅間山古墳が道沿いに。

現在古墳には、浅間神社が奉られています。

道を挟んで中山道碑。

その先には、泪橋碑。

徳川幕府から課された苦役に、地域の農民達は、涙したそうです。

本日の行程の半分程歩いてきたので、そろそろお腹も減りはじめました。

お昼をとれるお店を探しますが、旧道には、あまりお店がありません。

近くの交差点から国道へ足を伸ばし、通り沿いにあるラーメン屋さんに入りました。

大変美味しくいただきました。

食事後もがんばって歩きます。

道端に庚申搭が立ちます。

この先で国道と合流しますが、ここで道を間違えた事に気がつきました。 本来なら国道を渡り、旧道を歩くところ、気付かず国道を直進してしまいました。

この間違いに気づいたのは、神流川を渡る直前。。

全てに戻れないので、せめて石碑群と、

一里塚跡、

を目指して戻ります。

気を取り直し、前進です。

神流川古戦場と渡し場の説明板がありました。

いよいよ神流川を渡り群馬県へと入ります。

見透灯篭と呼ばれる常夜灯が立ちます。

埼玉県と群馬県の境を流れる神流川

群馬県側の見透灯篭。

ついに群馬県に入りました!

本日の目的地、新町宿を示す道標。

自衛隊基地の向かいには、ラスクの美味しい有名店、ガトーフェスタ ハラダの工場&店舗。

本日のお土産は、此方のラスクとチョコレートを購入いたしました。

国道と旧道が交差する場所にも見透灯篭が立ちます。

説明板と道標。

道標には、江戸二十四里 碓氷峠十一里とあります。

日本橋から、もう少しで100キロ歩いてきたことになります。

がんばりました。

ついに上州最初の宿場である、新町宿へと入りました。

新町宿は、中山道の宿場でもっとも遅く成立したそうです。

一番新しい宿場なので新町宿なのでしょうか。

まずは、新町八坂神社が鎮座。

芭蕉の句碑がありました。

続いて諏訪神社

元禄の頃に建てられた鳥居は、境内の奥で保存されていました。

中山道に戻ると高札場跡。

行在所公園があります。

此方には、新町宿を示す浮世絵がデザインされ、壁に埋め込まれていました。 

中山道の宿場を浮世絵で描いた木曾街道六拾九次は、渓斎英泉と歌川広重によって描かれています。

日本橋から本庄宿までは、連続して英泉が描き、新町宿は、広重が描いています。

中山道にかかる弁天橋と温井川、そして赤城山が描かれています。

行在所公園は、明治十一年、北陸東海地域御巡幸の際、明治天皇がご宿泊された地。

現在は、明治天皇新町行在所の碑と、平屋の建物が残ります。

公園を後にし、新町駅を目指します。

今回の旅は、ここまで。

雨が心配でしたが、なんとかもちました。

次回もまた、楽しみです。

中山道歩き旅 第九回 岡部から本庄

2022年2月19日土曜日、天気はくもり。

今年最初の中山道の旅。

地元の駅に10時に集まり、岡部駅まで高崎線で向かいます。

駅に到着し、前回の終着地である、岡部藩陣屋跡へ向かい、中山道へと戻ります。

まず見えてきたのは、岡部神社の鳥居。

長い参道を経て、境内へ。

本日の旅の安全を祈ります。

岡部神社は、岡部忠澄が、戦へと向かう際の祈願所だと伝わります。

中山道に戻ります。

続いて、岡部忠澄創建の普済寺が鎮座いたします。

お寺の入口に石仏、石碑が並びます。

門をくぐり境内に入ります。

丸にはね十字は、岡部氏の家紋 境内には、平忠度の歌碑もありました。

次に向かうは、忠澄の墓所

一旦、中山道から外れます。

景色の良い道を歩きます。

畑の中の小さな公園にお墓がありました。

忠澄の墓石が変形しているのは、忠澄の墓石を削り煎じて飲むと、乳が出ない女性も乳がでるとの言い伝えから、墓石が削られた影響です。

中山道に戻ります。

懐かしい火の見櫓。

この辺りは、関東で代表的なお漬け物の産地だそうで、道沿いには、工場や販売店等が点在しています。

時折、お漬け物の匂いが漂ってきます。

畑の中にこんもりとした塚。

宝登山神社の小さなお社。

中山道は、国道から外れ、右側の道へ。

芭蕉の句碑がありました。

岡の一里塚は、この辺りにあったそうですが、説明板や石碑等何も見当たりませんでした。

ここいらで小休止、中山道を離れ、道の駅おかべ、へ向かいます。

道の駅の隣には、中宿歴史公園。

中宿古代倉庫跡があります。

古代倉庫が2棟復元されています。

道の駅おかべの中のお蕎麦屋さんで、お昼ごはんをいただきます。

名物の深谷ネギを使用した、玉子丼とお蕎麦。 大変美味しくいただきました。

また、お土産に特産のネギを使用したお漬け物と、子供達には、ふっかちゃんパッケージのチョコを購入いたしました。

道の駅を後にし、旅を再開致します。

中山道へと戻ると石造りの古い建物。

岡部消防組 第一部。

浅間大神の石碑。

中山道は、馬頭観音を左です。

百庚申への道標。

右手の坂を下ります。

すると、百庚申が見えてきます。

神秘的な風景です。

坂を下り、バイパスを横断致します。

暫く歩くと、石塔があります。

稲垣一等卒殉烈記念碑。

稲垣一等卒は、大正時代、軍事演習の際に川で溺れていた人を助けようと濁流に入り命をおとしたそうです。

その功績をたたえ記念碑が建てられました。

重厚な橋を渡ります。

国の登録有形文化財である、

滝岡橋です。

昔は、橋柱の窓に明りが灯されていたようです。

流れている川は、小山川。

鋼製の8連桁の立派な橋です。

ここら辺りから再び国道に至るまでは、田園や集落の中を、道がゆったりと左右に曲がりながら続き、これぞ旧道といった趣です。

左に入る小路が旧道になります。

土手の脇を歩きます。

小路を歩き終え、元の道に合流すると、小さな石碑が綺麗に並んでいました。

先に進むと左手に八幡大神社。

境内には、巨木が悠々とそびえます。

右手には、寶珠寺。

美しい参道の先には、

立派な仁王門。

火の見櫓が残る長閑な道を進みます。

浅間大神の石碑。

歩道で地元のお母さん達が座り、楽しげにおしゃべりをしていました。

時間が昭和に戻ったようです。

道沿いには、石碑、お地蔵様が、並んでいます。

石碑群の端には、村の境目に置かれる、塞神。

塞神とは、村や地域の境目に置かれ、村に邪悪な物や疫病等が入らないように守ってくださる神様です。

立派な長屋門が残るお家。

この辺りは、傍示堂とよぱれ、武州と上州の境だったそうです。

橋がかかっている辺りには、傍示堂の一里塚があったようですが、場所は分かりませんでした。

国道を歩道橋で渡ります。

ゆったりとした御堂坂を歩きます。

途中に石碑が数基並んでいました。

本庄宿に入ったようです。

左手に見えてきたのは、大正院。

旅が無事に終えられることに感謝し、お参りをいたします。

立派な鐘突堂がありますが、此方の梵鐘の由来が書かれています。

中山道を離れ、本庄駅に向かいます。

本庄宿にも昔を偲ばせる建物が残ります。

本庄駅に到着です。

天気が心配でしたが、雨に降られずにすみ、一日楽しく歩けました。

中山道歩き旅 第八回 熊谷から岡部その②

その①の続き。

深谷ネギの大きさに驚き、お土産にとも考えましたが、帰りは電車。

ネギの香りが、周りの方々のご迷惑になりかねないと、購入は、断念致しました。

旅を続けます。

熊野大神社の鳥居がそびえます。

長い参道を経て境内へ。

熊野大神社へお参り後、いよいよ深谷宿を目指して歩きます。

松並木が、あらわれました。

次に見えてきたのが、木曾御嶽山遥拜所。

中山道を歩いていると、伊勢や大山や御嶽山等への信仰の道や参拝記念碑等を多く見かけます。

当時の人々の信仰の深さが伝わります。

右側に見えてきたのが芭蕉の歌碑がある、愛宕神社

暫く歩くと、見返りの松。

当初の松は、枯死してしまい、今ある松は、新たに植え代えられたものです。

深谷宿を訪れた人々が、名残を惜しみ何度も振り返ったことから名付けられたそうです。

いよいよ宿内に入ります。

宿の南北入口には、常夜灯がたちます。

昔を偲ばせる建物が多く残ります。

ふっかちゃん深谷の英雄であり、この年の大河ドラマの主人公、渋沢栄一翁がデザインされたかわいい小旗。

行人橋碑。

煉瓦のうだつが立派です。

この街での煉瓦生産は、渋沢栄一によってもたらされました。

途中、深谷駅に立ち寄りました。

 

東京駅によく似たデザイン。

明治に建てられた東京駅は、深谷で生産された煉瓦も使用されていたそうです。

渋沢栄一翁の銅像もあります。

現代の深谷の人気者、ふっかちゃん

   

中山道に戻ります。

本陣跡。

この辺りに、深谷の一里塚があったとの事ですが、看板説明書き等は、見当たりませんでした。

雰囲気の良い街並みが続きます。

宿場内を歩いていると造り酒屋を数件見ることができます。

 

深谷を通る中山道は、荒川の扇状地の末端に位置し、良い水が湧いていたようです。

良い水のお陰でうまい酒ができると言うわけです。

お土産には、お酒を購入です。

宿場の京都側入口にも常夜灯。

深谷宿を離れます。

続いて目指すは、清心寺。

平忠度公の墓所となります。

清心寺は、中山道を少し離れ、高崎線の線路を渡ります。

傍らに石碑が数基。

平忠度墓所

平忠度は、一ノ谷の戦いで岡部忠澄によってうたれました。

岡部忠澄は、源義朝に仕え、保元、平治の乱にも従軍し、武蔵武士としての名を轟かせました。

義朝死後も、頼朝挙兵に馳せ参じ、源平の合戦や奥州征伐で活躍した、郷土の英雄です。

忠澄が知勇に優れた平忠度の菩提を弔うために、領地のなかでも景色の良いこの地に忠度の墓所を築いたとの事です。

また、忠度は薩摩守であった為、旧国鉄職員の隠語として、キセル乗車をした人を、薩摩守と呼んでいたそうです。

「忠度」=「ただのり」=「ただ乗り」 中山道に戻り先に進みます。

見えてきたのは、滝宮神社。

国道沿いを歩き、岡部へと入ります。

道端に、高島秋帆幽囚地入口の石碑。

中山道をそれますが、大河ドラマでも有名になりました、高島秋帆が幽閉されていた、岡部藩陣屋跡を目指します。

今日は、岡部駅まで歩き終了です。

今回も楽しく歩けました。

中山道歩き旅 第八回 熊谷から岡部その①

2021年12月25日(土曜日)天気は、晴れ。

令和三年最後となる中山道歩き旅。

今回もいつもの4人で歩きます。

地元の駅に朝8時に集まり、電車で熊谷駅に向かいます。

熊谷駅に着くと、前回の旅の終着点に戻り、てくてく旅のスタートです。

まずは、国道17号を目指し、熊谷宿に入ります。

国道沿いには、ちらほらと、昭和を感じさせる建物が残り、街自体にどこか懐かしさを感じます。

すると、高城神社の鳥居が見えてきます。

鳥居をくぐり、境内へ。

青銅常夜灯は、天保十二年に藍染業者によって寄進されたそうです。

御神木の欅、樹齢は、800年を超えます。

熊谷の酉の市は、此方で毎年12月8日に行われ八日市と呼ばれます。

大宮は、十日市、浦和は、十二日市、蕨に市がたつのは、十六日でした。

旅の安全をお祈りし、中山道へ戻ります。

道端に、札の辻の石碑。

かつての高札場跡です。

熊谷宿の説明板もありました。

続いて、本陣跡の碑。

熊谷宿の本陣は、大変大きな建物だったようですが、第二次大戦の空襲で焼けてしまったそうです。

しかもそれは、終戦前夜。

大変悔やまれます。

国道を横断し、八木橋デパートの向こうにあるのが、熊谷寺(ゆうこくじ)です。

源平の戦いで活躍した、熊谷の英雄、熊谷直実が出家した後に過ごしたお寺です。

中山道は、八木橋デパートの中を通ります。

八木橋デパートを過ぎると、昭和に戻ったかのような商品看板に商店街。

一番街商店街の通りが中山道になります。

商店街の中には、小さなお社の八坂神社。

長年、此方の地域をお守りくださっているのでしょう。

商店街のなかの小さなお社、それだけでなんだか風情があります。

国道に突き当たり、右折します。

まっすぐ進むと公園に大きな石碑が三基立ちます。

秩父道しるべです。

少し進み、中山道は、左にそれる道に入りますが、その前に、ある会社の敷地内に古い石碑が一つありました。

正面は、風化が激しく解読出来ませんでしたが、側面は、なんとか読み取れ、明和四丁亥(ひのとい)霜月とあります。

明和4年は西暦1767年、後桜町天皇の御代、第十代将軍、徳川家治の時代です。

左に折れて進むと一里塚跡があります。

新島の一里塚です。

現在台座に切り株が残っている状態ですが、最近まで立派な欅が一里塚にたっていました。

在りし日の姿が写真に残されていました。

道の反対側には、摩多利神社。

云われが刻まれた石碑がありました。

歩き旅の醍醐味の一つは、地域の歴史を学べる事です。

さらに進むと、忍領石標。

此方から南は、忍藩の領土です。

安永に立てられ、明治になって廃止され、昭和で再発見されたそうです。

途中、国道をまたぎますが、長閑な道のりです。

石碑、石像、小さな祠が点在いたします。

中山道は、住宅街に入り、傍らに、明治天皇御小休所跡の碑がたっています。

我らもここいらで小休止。

年の瀬ですので、年越しそばを食べようと、通り沿いのお蕎麦屋さんに入りました。

手打ちの蕎麦、大変美味しくいただきました。

元気を取り戻し、てくてく旅再開です。

さっそく石碑が三基ありました。

この辺りに東方の一里塚があるはずなので探しながら歩きます。

すると、木の根元に小さな標識がありました。

彩の国ロードサポート 、団体名、一里塚と花畑、と記載があります。

我らは、此方を東方の一里塚跡とします。

その先には、赤の鳥居の連続が特徴的な、鬼林稲荷大明神

気づけば熊谷を越えて深谷市に入っていました。

通りには、古い石碑が点在します。

深谷と言えば、深谷ネギ。

農協の販売所には、収穫されたネギがたくさん。

どれも立派な代物でした。

その②に続く。

中山道歩き旅 第七回 吹上から熊谷

2021年11月20日、7回目の中山道旅です。

天気は、晴れ。

参加者は、いつもの4名。

地元の駅から電車に乗り込み前回のゴール地、吹上駅に向かいます。

駅前には、吹上の案内板。

現在は、鴻巣市の一部となっている吹上の街ですが、江戸の頃は、鴻巣宿と熊谷宿の間に位置する間の宿として栄えていたようです。

歩く前に腹ごしらえです。

駅近くにあるラーメン屋さんでランチをいただきます。

大変美味しくいただきました。

ごちそうさまでした。

時刻は、13時20分、熊谷駅を目指します。

中山道は、少し歩くと左に折れます。

電信柱には、直に書かれた道案内の矢印もありました。

この辺りは、古く趣のある建物が残りますが、なかには、廃墟となっている物も。

時代の流れを感じさせる通りです。

通り沿いには、吹上神社が鎮座いたします。

旅の安全を祈願。

先に進むと、中山道は、高崎線の線路に分断されてしまいますが、歩道橋で線路を越えることができます。

橋の下には、吹上間の宿の碑と説明板があります。

少し寂しげな道を歩きます。

すると、石碑がひとつ。

猿田彦大神と刻まれています。

道祖神庚申塔でしょうか。

暫く歩くと榎戸村の石碑があります。

側面には、道標と説明書きがあります。

この辺りにあった榎戸堤は、風光明媚な所として知られていたようですね。

小さな公園には、トイレもあり、綺麗な水が流れる元荒川も眺めることができます。

休憩するには、適した場所ですね。

元荒川には、立派な堰がありました。

公園を後にすると、煉瓦で造られた橋柱があります。

此方が元荒川の起点だそうです。

中山道は、荒川の土手に向かって続きます。

なんだか雰囲気の良い道筋。

土手の入口に小さな祠があります。

権八地蔵堂です。

この辺りで、平井権八という鳥取藩士が金を目当てに辻切りをしていたそうです。

その際、此方のお地蔵様が喋られたとか。

当時も中山道は、土手沿いに続いていたそうなので、日が傾く頃は、人気もなく、物騒だったのでしょうね。

当時の旅は、命懸けです。

土手へと道を進みます。

土手道をゆったり歩きます。

途中、決壊の跡の碑があります。

大雨になるとこの川幅も水で満たされるのでしょうか。

土手道を歩くと一里塚跡があります。

久下新田の一里塚跡です。

一里塚の前には、馬頭観世音塔がありました。

一里塚跡までの小路は、草が生い茂り、植物の種が足元に大量に引っ付いて取るのに大変でした。

一里塚を後にし、久下堤の碑が見えてくるといったん土手道から外れ久下の集落に入ります。

久下の集落に入ると説明板があります。

舟運と養蚕で栄えていたことが分かります。

久下神社が鎮座。

お参りを終え境内を散策致します。

前回の旅の神社にもあった、紀元二千六百年を祝う石碑がありました。

趣のある道筋を歩きます。

暫く歩くと祠があります。

此方も、権八地蔵堂です。

果たしてどちらが本物の物言い地蔵様なのでしょうか。

小さな公園のなかには、石碑もあります。

再び土手道に入ります。

久下の冠水橋跡碑。

当時の姿の写真付きです。

土手道に別れを告げるとみかりや跡。

茶店があり休憩所だったようです。

ゆべしが名物だったそうです。

先に進むと、久下氏ゆかりの東竹院。

久下氏の家紋、一番紋は、源頼朝の旗揚げに一番に馳せ参じたことで賜った由緒ある家紋です。

東竹院を過ぎると元荒川と再会です。

とにかく水が綺麗です。

埼玉県指定の天然記念物である、ムサシトミヨの生息地です。

また、此方に掛かる小さな橋は、熊下橋といい、昔、久下氏と一ノ谷の合戦で名を上げた熊谷直実が所領争いをしていた場所なんだとか。

暫く歩くと小さな公園。

なかには、一里塚跡があります。

八丁の一里塚跡です。

日本橋から十六番目。

中山道は、踏み切りを渡り、新幹線の高架の下をくぐりると本日の目的地、熊谷駅に到着です。

旅の疲れは、銭湯、さくら湯さんで洗い流します。

銭湯の後は、熊谷駅前で一杯。

小一時間で引き上げましたが、外に出るとすっかり陽は、落ちてました。

本日も楽しいてくてく旅でした。