中山道歩き旅 第四回 上尾から大宮 その②

その①の続き 天神橋を後にし、宮原駅の交差点を越え、暫く歩くと、向かって右側に小さな石碑が立っています。

宝暦九年造立の橋供養塔です。

橋供養塔や石橋供養塔は、埼玉に多く残っているそうですが、これ迄の旅では、あまり見かけることは、なかったような。

江戸時代の埼玉は、農地造成の為、各地で用水路を引く灌漑工事が行われました。

その際に石橋を掛け、記念碑的に建てたのが石橋供養塔だとする説があるそうです。

中山道を横断していた水路も今は、埋められたのか、暗渠となったのか分かりませんが、供養塔だけがポツリと立っています。

日本橋から 八つ目の一里塚は、距離的にここら辺りにあったと思いますが、それを偲ばせるものは見当たりませんでした。

中山道は、国道17号との交差点を越え、新幹線の高架の下をくぐります。

見えてきたのが、赤い鳥居を構えた立派な庚申塔、元禄十年造立の東大成の庚申塔です。

此方の庚申塔は、眼や耳の神様として、地域の人々に慕われてたそうです。

地域医療体制が十分普及していない時代、身体に不調を覚えると、神仏に頼り、祈る事で、回復を期待していたのでしょう。

中山道を歩いていると、そうした際に頼りにされた石像石仏が数多くあります。

暫く歩くと向かって左側にステラタウンと呼ばれるショッピングモール。

まだまだ頑張って歩きます。

すると、ファミリーレストランの端に、小さな石柱が立っています。

安政七年の道標と呼ばれている石標です。

安政七年とは、有名な桜田門外の変があった年です。

日本を揺るがす大事件があった同年に造立された石標です。

当時、此方の地域の人々に、桜田門の変の情報は、伝わっていたのでしょうか。

さらに進むと中山道は、鉄道の線路をくぐります。

すると、向かって左側に立派な石柱が立っています。

官幣大社 氷川神社 是とあり、途中で埋まっているように見えますが、氷川神社への道標となっていたのでしょうか。

我々は、中山道を左折し裏参道氷川神社を目指します。

参道らしく、赤い鳥居をくぐります。

傍らには、草に埋もれそうな武蔵野国一宮の石標。

裏参道から大宮公園の中に入り、まずは、埼玉県護国神社を目指します。

大きな石の鳥居をくぐります。

公園内を進み、道路を渡ると埼玉県の英霊を祀る埼玉県護国神社が鎮座いたします。

皆で英霊に対し祈りをささげ、厳かな空気の中、境内の様々な碑を巡ります。

埼玉県護国神社を後にし、再び氷川神社を目指して大宮公園の中を進みます。

青木昆陽の碑がありました。

現在、さつま芋は、埼玉県の特産品の一つとなっております。

氷川神社に到着致しました。

T氏の案内で、境内にある全てのお社にお参りをさせていただきました。

なかでも蛇の池は、神秘的な雰囲気を醸し出していました。

氷川神社を満喫した後、緑豊かな表参道を通って中山道へと戻りました。

今回のてくてく旅は、ここで終了。

歩き疲れた身体を、今回も日進湯さんで癒し家路につきました。