その①の続き。
勝願寺を後にして、中山道に戻ります。
本日のお昼ごはんは、鴻巣名物川幅うどん。
老舗のうどん屋、長木屋さんでいただきます。
緊急事態宣言もあけて、アルコールも解禁です。
まずは、ビールで喉を潤します。
お通しの たこわさが絶品でした。
ビールがすすみます。
メインは勿論、川幅うどんです。
いただいたのは、川幅彩うどん。
暖かいうどんを選択、味も染みて美味しいです。
うどんの幅は、これくらい。
見た目より、食べやすいですね。
前回の上尾でいただいた武蔵野うどんとは、異なりますが味は、確かです。
埼玉は、うどん県ですね。
食事を終えて外に出ると、小雨が降っていました。
思いの外ビールを飲みすぎてしまい、雨に気持ちが折られそうになります。
このまま電車で帰えろうかとも迷いましたが、気を取り直し、頑張って歩く事に決めました。
お次の目的地は、法要寺。
勝願寺は、徳川家の葵紋でしたか、此方は、加賀前田百万石の梅鉢紋を観ることができます。
前田家が参勤交代の際に泊まる宿は、勝願寺だったようですが、ある事により反感を買い、その日の宿泊を断られてしまいます。
困っていたところ、法要寺が宿として使用させてくれたそうです。
前田家は、お礼に梅鉢紋の使用を許したとの事。
門や本堂の屋根瓦に梅鉢紋が今でも輝いています。
徳川に前田、中山道の宿場には、今でも歴史が色濃く残ります。
中山道沿いには、当時を偲ばせる建物も健在。
鴻巣宿の案内板、先程見た物とは、異なります。
歩く先に立派な神社が見えます。
鴻巣宿総鎮守、鴻神社です。
境内では、お宮参りや七五三でとても賑やかでした。
さらに進むと中山道は、左に折れます。
道標もありますので分かりやすいです。
踏み切りを渡ります。
ここら辺りからだんだんと歩道は、なくなります。
しかし、車通りが激しくなりますので注意しながら歩きます。
次に立ち寄ったのは、中山道から少しそれた所にある古刹、光徳寺。
天長二年に示寂した開祖、源楽上人の石碑が立っています。
天長二年は、西暦825年、平安時代です。
ここら辺りは、かつては、箕田村と呼ばれ、嵯峨源氏縁の箕田源氏発祥の地とされています。
とても古くから人々が土着した、歴史がある地域です。
少し歩くと、箕田観世音。
正式名称は、吹張山平等院といいます。
永延元年西暦987年に渡辺綱が開基したと伝えられています。
源氏ゆかりの仏閣が続きます。
宝持寺は、渡辺綱が祖父の源仕、父の源宛の菩提を弔う為に建立したお寺です。
十八羅漢石仏。
全国渡辺会の碑。
渡辺の祖は、渡辺綱とされているそうで、それにちなんだ碑です。
お隣に鎮座するのは、氷川八幡神社。
此方の辺りは、嵯峨源氏の流れをくむ、箕田源氏発祥の地であり、その由来を記した、箕田碑があります。
裏側には、芭蕉の句が刻まれています。
氷川八幡を後に、車に注意しながら中山道を進みます。
通りには、所々に庚申塔や馬頭観世音がありました。
歩き続けると、祠が道端にあります。
ここは、箕田の追分、箕田の追分地蔵と呼ばれる、お地蔵様がいらっしゃいます。
追分とは、分かれ道の事。
箕田の追分では、中山道から忍(行田)や館林道が分かれます。
追分を過ぎると庚申塔がありました。
電柱には、中山道の道筋を示す案内シール。
こういうの、大変助かります。 歩き続けると案内石碑が立っていました。
英泉がここら辺りの景色を鴻巣宿として描いたようです。
今は、こんな感じ。
本日は、雲がどんより、富士山は、見られずです。
この辺りは、かつての前砂村。
少し歩くと、一里塚跡の碑がありました。
日本橋から十三里です。
中山道は、左に入ります。
ここら辺りも道順が少し分かりづらいのですが、案内シールがあり、大変助かります。
案内シールに導かれながら歩くと祠があります。
説明を読むと古くからこの土地に伝わる言い伝えみたいですね。
再び、シールに導かれ歩きます。
暫くすると、本日のゴール吹上駅到着です。
今回も楽しく歩けた中山道旅でした。