中山道歩き旅 第十五回 横川から軽井沢 その③

その②の続きです。

碓氷坂の関所跡、刎石山の頂上付近からは、林の中の尾根道をゆったり歩けます。

雷が落ちた跡でしょうか。

木が焦げていました。

此方は、掘り切り跡。

豊臣秀吉の小田原攻めの際、北条側が峠道の左右を削り道幅を細くして防御力を高めた痕跡です。

美しい花が咲いています。

景色を楽しむ余裕もでてきました。

南向き馬頭観音が置かれています。

北向馬頭観音の説明看板。

この辺りが刎石の一里塚跡。

ここから再び急坂がはじまります。

座頭ころがしです。

道標がある度に中山道を歩いている事を思い出させてくれます。

再び尾根道にでると風が流れ、気持ちが良いです。

栗が原。

ここは、明治天皇行幸道と中山道の分岐点。

此方に置かれた見回り方屯所が交番の発祥なんだとか。

峠道は、様々な姿に変化します。

整然と立つ杉並きの尾根道。

入道くぼ馬頭観音が置かれます。

まごめ坂を過ぎると、山中茶屋跡の説明看板。

此方は、峠の真ん中に辺り、十三軒の立場茶屋や茶屋本陣があり、明治の頃には、小学校もあったそうです。

先に進むと、朽ち果てたバス。

廃墟となった建物があります。

旅人を苦しめた老婆がいたと伝わる、一つ家跡の説明看板。

陣場が原の説明看板。

先程は、豊臣氏と北条氏、此方の足利氏と新田氏、武田氏と上杉氏。

関東への入口である碓氷峠は、要所であり、何度も戦場となりました。

安政の遠足コースと中山道の分岐点。

勿論、我々は、中山道へ。

暫く下り坂、高度を下げます。(これが最後の急登となる一因)

碓氷峠は、万葉集にでてくる程の古くからの道です。

道標を確認しながらさらに進みます。

すると化粧水跡の説明看板。

人馬施行所跡の説明看板。

沢を越え、歩きづらい峠道、足元を確かめながら一歩一歩注意して登ります。

最後の急登がはじまりました。

がんばれ、がんばれと皆で声を掛け合い登りきります。

急登の先には、仁王門跡に思婦石がありました。

碓氷峠水源地。

此のような山の上に水源地があるとは、驚きです。

明治天皇巡幸の際の御前水となったそうです。

信国境は、目の前です。

その④に続く。

中山道歩き旅 第十五回 横川から軽井沢 その②

その①の続き。

八幡宮を過ぎると舗装路は、大きく曲がります。

しかし、我々4人が歩く道は、中山道

曲がらず未舗装の小道に入ります。

此方で各自熊よけの鈴を装着。

道筋に不安になりながらもずんずん進みます。

すると中山道を示す立て札を発見。

ほっと致します。

この先の急坂を登ると、ガードレールの間から舗装道路に出ました。

登山口の手前に到着です。

休憩所がありました。

ここから先は、登山道となり、本格的な峠越えアタックとなります。

登山道の始まりは、とにかく標高を上げる為の急登となります。

初っ端から皆息が上がります。

同峰番所跡の説明看板。

此方には、石垣の上に番所があり、峠道に堀切門が設置されていたそうです。

また、峠道には、この地の名物マラソン大会である安政の遠足のコースを示す道標がありました。

群馬、長野県境まで8キロ。

これから始まる現実に心が折れそうになります。

続いて念仏百萬偏供養塔がどっしりと鎮座。

急登のお陰でだいぶ標高をかせぎました。

峠道には、溶岩が固まった石がごろごろ、注意して歩きます。

すると、柱状節理の岩肌が露出していました。

まだまだ登ります。

続いて、上り地蔵下り地蔵の説明看板 。

覗と呼ばれる場所からは、先程歩いた坂本宿を一望できます。

天気も良く、美しい景色が覗けました。

風穴。

休憩をはさみながら峠道を進みます。

途中、軽井沢方面から下山する方々と何度か行き交い、挨拶を交わします。

外国人の方が多いですね。

刎石茶屋跡の説明看板。

四軒の茶屋があり、砂糖餅が名物だったそうです。

刎石山頂上付近までやってきました。

此方には、碓氷坂の関所跡の説明看板。

最初の急登は、この辺りまで、此方から暫くは、楽しいハイキングウォークとなりました。

その③に続く。

中山道歩き旅 第十五回 横川から軽井沢 その①

2023年4月22日土曜日、天気は、晴れ。

前回の歩き旅から半年が経ちました。

本日、満を持しての碓氷峠越え、上州から信州へと向かいます。

今回もいつもの4人で歩きます。

朝6時19分の電車に乗りこみ高崎駅へ。

高崎駅に着くと、恒例となりましたホームにある第5売店での朝ごはん、立ち食い蕎麦を黙々と4人揃っていただきます。

前回いただいた朝得蕎麦は、卵の高値の影響か?販売中止になっていました。

今回いただいたのは、コロッケそば。

此方もやはり美味でした。

食後、おトイレ&一服タイムを経て信越線に乗り込み前回の終着地横川駅へ。

山が迫りくる車窓の景色を楽しんでいると程なく到着致します。

駅前で身支度を整え、虫除けスプレーを入念につけ、準備体操を致します。

さあ、本日のてくてく歩き旅のスタートです。

風は、少しありますが、青空の広がる良い天気、まずは、坂本宿を目指します。

暫く歩くと見えてくるのは、碓氷関所跡。

関所跡に立つ門は、当時のものを移設して保存されているそうです。

管理されてる方のお話しによると、門の柱の一部が黒くなっているのは、維新後に明治政府から徳川が管理していた関所の破却命令がだされたものの、貴重な門を守る為思案し、一部に火をかけることで破却命令に応じた格好を示し、本格的な破却を行わなずにしたとの事。

当時の方々の機転のきいた行動に感謝です。

お陰で現在でも当時の姿を見ることができますからね。

資料館等も見学し、関所跡を離れます。

先に進むと川久保橋の説明板。

当時は、今よりやや上流に橋が掛かっていたようです。

橋を渡ると坂があり、手前に立派な石碑が立っています。

川久保薬師坂碑です。

この辺りで我等4人組は、中山道から若干コースアウトをしたようですが、地図を見ながら修正し、無事に中山道に戻れました。

坂本宿手前の白髪神社を横目に歩きます。

続いて原村水神宮。

村に流れる用水路の起点に水神様を奉ったそうです。

いよいよ坂本宿に入ります。

宿内に用水路が通った美しい宿場でした。

下木戸跡。

坂本宿の江戸側の木戸です。

宿場内を歩きます。

卯建があがった建物が残ります。

用水路に清水が流れ、真っ直ぐな道の先には、これから越える刎石山。

天気が良く景色が映えます。

坂本宿の家々には、屋号が掲げられていて当時の名残を感じる事ができました。

宿場の雰囲気を残す建物も健在。

佐藤本陣跡。

永井脇本陣跡。

由緒ある旅籠跡が続きます。

元旅籠かぎや跡。

元旅籠つたや跡。

元旅籠たかさごや跡。

上木戸跡を最後に坂本宿とは、お別れです。

いよいよ山が近づきます。

その前に芭蕉句碑。

本八幡宮が鎮座します。

無事に峠が越えられますようにと、心のなかで祈ります。

その②に続く。

中山道歩き旅 第十四回 松井田から横川

2022年10月22日、天気は、くもり時々晴れ。

このところ、急に気温が下がり、秋を通り過ぎて冬がやってきたような日が続いています。

この日のメンバーもいつもの4人。

1ヶ月ぶりの歩き旅は、前回のゴール地点松井田駅からスタートです。

本日目指すは、横川駅。

午前10時に出発、お昼は名物、峠の釜飯をいただく予定です。

まずは、景色の良い道を10分程歩き、中山道へ戻ります。

約1ヶ月ぶりに松井田宿に帰ってきました。

宿場の面影を残す建物が点在します。

可愛らしい絵でデザインされた、松井田宿の案内看板。

江戸側から歩くと、下町、中町、上町と続きます。

上木戸跡を過ぎると、右側には、松井田八幡宮が鎮座致します。

この日の旅も無事で終えられるよう、お祈り致します。

八幡宮を後に、中山道に戻るとモダンな松井田商工会館

昭和十四年築でもとは、松井田警察署です。

新堀の交差点を過ぎると補蛇寺。

此方のお寺の敷地は、豊臣秀吉の小田原攻めの際に落城した松井田城の一部です。

この先中山道は、国道から一旦外れます。

此方には、道祖神

少し先には、新堀の一里塚跡がありました。

日本橋から三十二里目です。

この先で踏切を渡りますが、この日は、幾度となくこのような小さな踏切を渡りました。

製糸踏切とは、いかにも群馬らしい名称ですね。

時より視界が広がり、美しい景色を楽しみ、細道となった中山道を4人で談笑しながら進みます。

旧道にこだわりながら、地図を見て、ああだ、こうだとわざわざの遠回りもいとわず歩いていきます。

そんなご褒美に大きな岩の上には、お地蔵様が鎮座。

心が癒されます。

また、此方のような道順を示す看板があると、しっかり中山道を歩けていると安心致します。

案内板を確認し、国道18号を横断、旧道を歩きます。

個人宅の前には、立派な庚申塔と二十三夜塔。

管理されている方は、大変だと思いますが、こうして残していただき感謝ですね。

先には、五科村高札場跡。

中山道を右に折れ、踏切を渡ると、五科茶屋本陣跡。

此方の茶屋本陣は、お西様とお東様の二棟が並んでございます。

有料ですが、なかに入って見学もできます。

まずは、お西様を見学です。

広い建物内に入ると、養蚕で使用する昔ながらの道具が並びます。

管理されている女性の方が、此方の道具を使いながら、養蚕の作業をそれは見事に説明、解説をしてくれました。

とても勉強になりました。

御商売益々繁盛ですね。

続いて、靴を脱いで室内も見させていただきました。

建物内はとても広く、大豪邸ですね。

上段、中段、下段の間。

当時の貴重な品も見られます。

お二階にもあがらさせていただきました。

此方は、郷土に縁がある様々な物品が、資料として展示されていました。

この日の二階は、ミシミシと音が聴こえます。

何かと思い、先程ご説明いただいた、管理されている女性に聞いてみると、屋根に敷かれた銅板が、陽の光によって伸縮している音だそうです。

お次は、お東様を見学です。

勿論、建物内にも入れます。

建物内には、中山道全ての宿場の浮世絵が飾られていました。

これ迄歩いた宿場、これから向かう宿場を感慨深く拝見致します。

まだまだ先は、長いですね。

松井田宿

靴を脱いで室内に上がらさせてもらいます。

此方のお部屋も立派です。

書院造りの上段の間。

最後にお茶もいただけました。

貴重な体験でした。

とても有意義な時間を過ごせ、勉強にもなりました。

中山道に戻ると双代道祖神

踏切を渡ると上り坂となります。

左側に道祖神が一基。

庚申塔等の石塔が並びます。

坂の上には、夜泣地蔵と茶釜石。

もちろん叩いてみました。

面白い音が聴こえたような。。

長閑な道を歩きます。

道沿いには、石仏石塔が点在しています。

しだいに線路沿いを歩くようになります。

右側には、碓氷神社。

真っ直ぐに伸びた杉の間に続く、長い階段は、神秘的。

美しいですね。

踏切を渡り、国道を少し戻り、右の細道に入るのが旧道です。

臼井小学校には、今は、珍しくなった二宮金次郎の石像がありました。

その先には、石仏石塔群。

この辺りから、頭上にカラスの大群が不気味にうごめいていました。

百合若大臣の足跡石。

カラスにおびえながらパチリと撮りました。

踏切を渡り、真っ直ぐ行けば横川駅です。

此方にもカラスの大群。

嫌だなと思いつつ歩いていると、突然S氏が「猿だ‼️」の一声。

指差す方を見ても確認できず。

もういないのかと思ったその時。

集落の家々の敷地から、次々と猿が現れました。

結構な数、もはや群れです。

猿の大きさと頭数に驚いていたところ、住民の方が、猿を威嚇しながら家から出てきました。

集落のあちら、こちらから、猿避けの花火がバンバンと次々放たれます。

T氏は、住民のお婆さんの代わりに花火に火を付けてあげていました。

ひとまず猿を追い払い、横川駅へと向かいます。

先程のカラスの大群は、この猿の群れと関係があったのでしょうか。

程なく、おぎのやさんのオレンジ色の看板が見えてきました。

横川駅到着です。

お昼は、勿論、峠の釜飯をいただきます。

店内は、混雑していたので、テイクアウトにして、外にある駅前のベンチで4人仲良く食べました。

まだ、ほんのり温かい釜飯は、本当に美味しく長年愛されてきたのも納得です。

また、横川駅の立ち食い蕎麦も美味しいとのことで、此方も一緒に食します。

大変美味しくいただきました。

ごちそうさまでした。

この日の歩き旅は、此方で終了ですが、旅は、まだまだ続きます。

電車に乗り礒部駅を目指します。

旅の疲れを癒そうと礒部温泉に向かいます。

此方は、温泉マーク発祥の地だそうです。

駅から歩いて約5分程の所にある、安中市の健康増進施設、日帰り温泉の恵みの湯さんに入ります。

此方には、大きなお風呂が露天と内風呂2つあり、ゆったりと堪能でき、すっかり癒されました。

大満足です。

風呂あがりにビールもいただきこの日の旅は終了です。

歩いた距離は、短かったですが、内容の濃い実に楽しい旅でした。

次回は、いよいよ最初の関門、碓氷峠越えです。

中山道歩き旅 第十三回 群馬八幡から松井田 その②

その①の続きです。

安中宿に入ると、下木戸跡の碑があります。

此方が宿場の江戸側入口となります。

安中宿も、昔を偲ばせる建物が、点在しています。

本陣跡の碑を見つけました。

中山道から右に入ると旧碓氷郡役所跡。

此方は、現在資料館となっており、見学可能です。

もちろん、立ち寄りました。

お隣には、安中教会。

さらに旧安中藩郡奉行役宅。

此方も有料ですが、建物内に入れます。

室内は、江戸時代の生活を偲ぶことができ、貴重な経験となりました。

道を挟んだ所には、旧安中藩武家長屋も復元されています。

此方は、一部工場中との事で室内の見学は、残念ながらできませんでした。

そろそろお昼も過ぎ、お腹がすいてきました。

中山道へ戻る道沿いに、お昼を食べられそうなお店を見つけました。

高嶋屋さんでランチです。

しょうが焼きに、小うどんの付いたランチセットを頼みましたが、凄いボリューム!

大変美味しくいただきました。

ごちそうさまでした。

お腹いっぱいになり、旅の続きです。

上木戸跡は、安中宿の京都側の入口があった場所です。

ここからは、松井田宿を目指します。

道には、立派な常夜灯がたっています。

古墳の上には、愛宕神社が鎮座。

中山道を少しそれますが、同志社大学創立者新島襄先生の旧宅が在るとの事で、足を伸ばします。

此方も中に入れることができ、管理されている方から丁寧な解説を聴くことができ、とてもありがたく、感謝です。

もとは、安中藩武家長屋だったそうです。

この長屋は、新島先生のご両親が暮らしていて、アメリカから帰国した襄先生も、少しの間では、ありますが一緒に此方で暮らしたそうです。

中山道に戻り、先に進みます。

史跡天然記念物安中原市ノ杉並木碑がありました。

かつては、此方から杉並木が続いていたそうです。

現在、並木の東側は、枯れてしまっています。

先に進むと見えてきました。

並木の中に石塔が三基。

安政の遠足が、デザインされた貯水塔。

天然記念物安中原市ノ杉並木碑。

此方で杉並木は終わりです。

がんばって先に進みます。

立派な門構え、原市村戸長役場跡。

その先には、明治天皇原市御小休跡碑が立っていました。

蔵が点在します。

現在は、寂しい通りですが、残る蔵や建物を見ていると、華やかで賑やかな時代があったのだなと偲ばせます。

八本木旧立場茶屋跡。

こちらの茶屋の名物は、志がらきお茶漬けだったそうです。

想像はつきませんが、美味しそう。

茶屋跡の前には、八本木地蔵堂

百年に一度開帳される秘仏が納められ、参勤の大名達は、下乗下馬したとの事。

安中市最古の庚申祠も見ることができます。

松井田宿は、もう少し先です。

道沿いに道祖神等の石塔が点在します。 

郷原の一里塚跡が、この辺りにあったそうですが、その痕跡を見つけることは、できませんでした。

暫く歩いていると、国道に突き当たり、久しぶりのコンビニで少し休憩をとりました。

国道の向こうに妙義道道標があります。

休憩後、再び松井田宿を目指し歩きます。

まずは、コンビニから国道を渡らずに、右に折れ、中山道と思われる小道に入ります。

薄暗いなか細道を下ります。

人気もなく不気味な雰囲気のなか、歩きます。

道端のマムシ注意の看板に、尚更びくつきます。

落ち葉が広がる坂道を上り、これまた、おっかない国道下に通された、小さな薄暗いトンネルをくぐります。

トンネルを抜けると、やっと視界が開け、美しい景色を見ることができました。

ほっと、したところで、中山道は国道18号と合流します。

松井田宿までは、あと一息。

途中スーパーに立ち寄り、帰りの電車でいただくおつまみを購入。

メンバー2人は、堪えきれずおビールも同時に購入。

はじめての20キロオーバーの行程で、足もがくがく、気力を振り絞り、やっと松井田宿にたどり着きました。

本日の旅は、ここまで。 松井田駅まで歩き、家路に着きました。 この日も楽しく歩けました。

中山道歩き旅 第十三回 群馬八幡から松井田 その①

2022年9月17日、天気は、晴れ後くもり。

まだまだ残暑は、厳しいですが、猛暑とコロナが吹き荒れた夏が終わり、秋が近づく9月。

久しぶりの歩き旅です。

この日も変わらぬいつもの4人で歩きます。 地元の駅から終点の高崎駅まで、延々電車に揺られ、ホームにある立ち食いそば屋さんで、朝ごはんをいただきます。

信越線に乗り換え、約2ヶ月ぶりに群馬八幡の駅に立ちました。

まずは、中山道に戻る前に、本日の旅の安全をお祈りするため上野国一社八幡八幡宮へ参ります。

仁王門をくぐり、急な石段を登ります。

息を切らせて登り、振り返ると街を一望できました。

その先には、本殿が鎮座。

権現造りで、装飾された彫刻は、一見の価値あり。

お参りを済ませ、中山道へと戻ります。

少林山入口の交差点には、朱塗りの八幡宮大鳥居がそびえます。

まずは、板鼻宿を目指し、中山道歩きスタートです。

国道18号を板鼻下町の交差点まで歩き、右に折れ、国道とは、暫しお別れです。

すると、双代道祖神が夫婦仲良くたたずみます。

その先には、お地蔵様と庚申塔が鎮座。

榛名道道標を過ぎると、いよいよ板鼻宿です。

板鼻宿に入ると、古い建物が点在しています。

代用本陣を勤めた長傳寺。

中山道に戻ると、かつ丼で有名な旧旅籠角菱屋跡の板鼻館。

残念ながら営業前でした。

養蚕の面影を残す建物。

その先には、木島本陣跡。

皇女和宮が宿泊した書院が残ります。

現在は、資料館になっていますがこの日は、残念ながら公開されていませんでした。

なかはこんな感じみたいです。

板鼻宿は、豊富な水が流れる水路で囲まれていました。

板鼻宿に別れを告げ、次は、安中宿を目指します。

暫く歩くと鷹ノ巣神社入口碑。

碓氷川を鷹ノ巣橋で渡ります。

当時橋は、掛かっておらず渡し船で渡ったそうです。

橋を渡ると、行く手向こうの山の斜面に、工場が張り付いたように立ち建ち並びます。

その光景は、まるでアニメ、ラピュタの世界。

中宿の歩道橋の先には、諏訪神社が鎮座します。

此方には、明治天皇行幸の際、休憩をとる為に立ち寄り、腰掛けたと伝わる石が保存されています。

我々も暫し休憩をとりました。

先に進み中宿の一里塚跡。

立派な蔵が残ります。

日本橋から二十九里。

その先に庚申塔道標。

そろそろ安中駅ですが、駅には、向かわず先に進みます。

当時中山道には、中洲づたいに橋が掛かっていたそうですが、今はなく、川に沿った小路を歩きます。

現在掛かる立派な橋を渡り中山道に戻ります。

河川敷では、元気に少年野球の練習が行われていました。

国道18号から県道125号に入ります。

そろそろ安中宿です。

安中宿の宿場入口には、木戸跡の碑が立ちます。

その②に続く

中山道歩き旅 第十二回 高崎から群馬八幡

2022年6月4日土曜日、天気は晴れ。

予定していた日がことごとく雨に降られ、2回の延期を経ての開催。

久しぶりの歩き旅となりました。

旅人は、いつもの4人。

地元の駅で待ち合わせ、電車で高崎まで揺られます。

今回は、中山道を歩く前に高崎観光を致します。

まずは、高崎城址へ。

高崎城は、徳川家康が、徳川四天王の一人、井伊直政に命じて築かせた、北関東の要となる城。

ちなみに、高崎と言う地名も直政により名付けられました。

あら町の交差点で、中山道を越えると小さなお社があります。

諏訪神社です。

防火対策の漆喰の白が強調され、彫刻も見事です。

小さいながらも存在感あります。

市役所の高いビルが立つ所が、高崎城址です。

まずは、高崎公園に隣接した、頼政神社を目指します。

高崎公園からは、城の南西の防御となっていた烏川越しに美しい景色が望めます。

木々のなかにひっそりと頼政神社が鎮座致します。

内村鑑三の記念碑もありました。

お城の痕跡を探しながら高崎城址公園へ向かいます。

すると櫓がありました。

乾櫓です。

続いて東門。

高崎歩兵第15連隊跡の碑がありました。

高崎城址を後にし、市内循環バスで観音様を目指します。

暫くバスに揺られ、高崎観音山に到着。 

白衣大観音様とご対面。

胎内巡りをさせていただき、奉られている神仏にお参りを致しました。

心が清められたところで、高崎駅へとタクシーで戻ります。

歩き旅の前に腹ごしらえ。

高崎名物、タレカツ丼を栄寿亭さんでいただきます。

 

大変美味しくいただきました。

ごちそうさまでした。

食後に、お隣にある古書屋さんを覗かせていただき、珍しい書籍に興味を掻き立てられます。

お昼も過ぎ、気温も高く、日射しが強くなってきましたが、本日の歩き旅スタートです。

通りの向こうに、感じの良さそうな趣のある、建物が見えました。

田町絹市場跡です。

古い建物もちらほら残ります。

本町三丁目の交差点を左折すると、高崎市の景観重要建造物の一つ山田家があります。

奥まったところにある集会所も雰囲気ある建物でした。

暫く歩き、高崎総鎮守 高崎神社が左手に見えてきます。

重厚な屋根瓦の手水場。

先には、高崎の名縁のお寺さん惠徳禅寺。

珍しい正面向きの獅子。

石像、石仏がズラリと並びます。

閻魔さま。

奪衣婆。

道の右側には、長松寺。

此方の坂には、当時番所が置かれていたそうです。

岡醤油さんの店舗は、創業当時の建物だそうです。

店内に入り、お土産にお醤油を買うことができます。

中山道は、山田文庫の煉瓦の壁を右折します。

現在も図書館として、一般に公開されています。

正一位稲荷大明神

中山道は、烏川を越える橋に向かいます。

君が代橋の旧親柱。

明治天皇の北陸東海行幸の際、此方に橋を掛けた事を記念し、名付けられたそうです。

良い眺めです。

午前中に訪れた、高崎観音も遠くに見えました。

橋を渡り終え、国道の反対側に渡り、国道から中山道は、外れます。

万日堂。

高崎の町は、所々に達磨を意識させます。 

下豊岡の石神社。

中山道は、その先のY字路を左に進みます。

此方には、道標があり、右はるなみち くさつみちと刻まれています。

八坂神社。

此方にも立派な道標が立ちます。

暫く進むと源氏縁の若宮八幡宮

道端に庚申塔

先には、上豊岡の茶屋本陣があります。

暑さに参っていたので、建物の見学がてら、休憩させていただきました。

此方を管理されてる女性の方に、とても親切に説明、案内いただき、有意義な時間を過ごすことができ、感謝です。

建物内は、この日の猛暑とは別世界、とても涼しく、快適に休むことができました。

茶屋本陣に別れを告げて、再び歩きます。

中山道は、国道に合流致します。

此方には、昔の群馬を象徴するお家が建っていました。

群馬は、養蚕で栄えた土地、蚕を育てる独特の屋敷の造りになっています。

土手沿いを歩きます。

此方には、一里塚が残ります。

藤塚の一里塚です。

本日の旅は、ここで終了。

近くの群馬八幡駅まで歩き、電車を乗り継ぎ家路です。

6月初旬でこの暑さ、夏本番が思いやられます。